大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

松江地方裁判所 昭和62年(ワ)21号 判決 1993年6月16日

原告

月森幸治

右訴訟代理人弁護士

妻波俊一郎

岡崎由美子

被告

小坂義弘

右訴訟代理人弁護士

周藤滋

被告

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右訴訟代理人弁護士

周藤滋

右指定代理人

水津憲治

外六名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告らは、各自、原告に対し、金五五一七万〇五二二円及び内金五〇一五万五〇二〇円に対する昭和六一年一一月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告国の施設である島根医科大学医学部附属病院(医科「被告病院」という。)において、原告が、被告病院の医師である被告小坂らから、右胸部痛等の除去のため神経ブロック施術を受けたが、右医療行為の過誤が原因で後遺障害が生じたとして、また右施術に当たっての説明義務等違反を理由として、被告小坂に対し不法行為責任に基づき、被告国に対し主位的に医療契約不履行(不完全履行)、予備的に不法行為責任(使用者責任)に基づき、それぞれ損害賠償を求める訴訟である。

一争いのない事実及び証拠上明らかな事実(証拠の摘示のない部分は、当事者間に争いがない。)

1  当事者等

(一) 原告は、昭和五年一二月一八日生まれで、左官職をしていた男子である。

(二) 被告国は、島根医科大学医学部に附属の教育研究施設として被告病院を設置している。

(三) 被告小坂は、被告国に雇用された島根医科大学医学部教授であり、被告病院麻酔科受診の患者の治療に当たっている。また、田中章生は、被告国に雇用され、被告病院に勤務している医師である。

2  原告・被告国間の医療契約の成立まで

(一) 原告は、昭和五五年二月二一日、歩行中に後方から車両に右背中央部に衝突される交通事故に遭い、右胸部痛等を訴え、平田市の河原医院、出雲市の錦織整形外科病院を受診して右肋軟骨損傷の診断により治療を受け、同年四月一日、さらに出雲市民病院整形外科で受診して、右第五、第六肋軟骨損傷及び右第一二肋骨骨折と診断され、通院して治療を受けた(<書証番号略>、原告)。

(二) 右各治療にもかかわらず、右胸部から背部にかけての痛みが安静時にも持続し、体動時には増強するため、原告は、これらの治療を求めて昭和五六年一月二六日から被告病院内科で受診し、その後院内紹介により、同年一〇月一二日から麻酔科で受診するに至ったものであるところ、同日、原告と被告国との間において、原告に対しその痛みを除去すべく適切な医療を行なうことを内容とする医療契約が成立した。

3  被告病院における診療経過の概略

(一) 被告小坂及び田中医師は、原告の症状について、前記交通事故を原因とする右外傷性胸部痛と診断し、原告に対し、昭和五六年一〇月一二日から同五八年一月一〇日まで(通院実日数二二九日間)、カルボカイン(一パーセント)による持続硬膜外ブロック、星状神経節ブロック、肩甲上神経ブロック、肋間神経ブロック等を約三〇〇回にわたって施行した。

(二) しかし、前記各麻酔法(神経ブロック)によっても原告の胸部痛は改善されることなく持続した。また、原告は、持続硬膜外ブロック治療期間中の一時期、硬膜外カテーテルの挿入部位に激痛があることや、痛みのため呼吸困難に陥ることがある旨訴えていた。

(三) 原告は、昭和五八年一月一〇日を最後に、一時被告病院における治療を中止した。

(四) 原告は、昭和五八年四月九日被告病院麻酔科を再訪し、被告小坂に対し、田中医師作成の同五七年一〇月一二日付自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(甲八)に原告の障害の所見として「日常生活に多少の制限があると考えられる」との記載があるのを、より重篤な所見に書き直すよう求め、さらに被告小坂に後遺症診断書を作成して欲しい旨申入れた。これに対し、被告小坂は、原告に、後遺症診断書を作成するためには、従来続いている右胸部痛、呼吸困難の原因を明らかにする必要があるし、それが右症状を除去するためにもなるので、ぜひとも入院の上で精密検査が必要であると述べたため、原告は、同五八年四月一八日被告病院麻酔科に入院した。

(五) 被告小坂は、原告の心肺機能検査等の後、昭和五八年五月四日、原告に対し、くも膜下フェノールグリセリンブロック(以下「本件ブロック」という。)を施行した。

なお、本件ブロック施行後、原告の全身に蕁麻疹が発生した。

(六) 原告は、昭和五八年五月二八日に被告病院を退院した。その際、被告小坂は、原告について自動車損害賠償責任共済後遺障害診断書を作成し、これを原告に交付した。

二争点

1  診療録の改竄について(証拠弁論)

(一) 原告の主張

(1) 乙第一号証の四四丁から六一丁及び乙第二号証の四丁から六丁の麻酔科診療録(以下「カルテ」という。)は、以下の理由から、本件訴訟提起に先立つ証拠保全手続直前に、不利な部分を削除し有利な部分を付加する等全面的に改竄されたものである疑いが強い。

① 麻酔科カルテと診療料金領収書(<書証番号略>)との間に以下のとおり多くの矛盾が存在するところ(麻酔科カルテと診療料金領収書との不一致は診療回数二三九回中八五回にのぼる。)、診療料金領収書は、医事課においてその都度機械的に作成されるもので作為の入り込む余地がないから、麻酔科カルテの記載内容の真実性が強く疑われる。

ア 診療料金領収書において診療の事実が認められるのに、麻酔科カルテには診療の事実の記載がない日がある(昭和五六年一一月二四日、同年一二月五日、同五七年二月一二日、同年九月二二日)。

イ 診療料金領収書においてレントゲン撮影等の検査、投薬、注射、処置及び手術等の記載があるにもかかわらず、麻酔科カルテにはその記載がない日がある(昭和五七年三月二六日、同月二九日、同年四月二六日、同月二八日、同年五月二七日、同五八年一月一〇日)。また、診療料金領収書には一二回にわたって文書が作成された旨の記載があるのに、麻酔科カルテには昭和五八年五月三〇日の診断書作成以外、文書作成の事実は一切記載されていない。

ウ 麻酔科カルテに投薬の記載があるにもかかわらず、診療料金領収書にはこれに見合う記載のない日がある(昭和五七年一〇月一八日)

エ 麻酔科カルテによれば同一の治療内容が記載されているのに、診療料金領収書の処置及び手数料が同一でない日が多数存在する。

② 麻酔科カルテには、当然記載されるべき原告の症状経過やこれに対する医師の所見がほとんど記載されておらず、また本件ブロックについての被告小坂の説明及び原告の同意も記載されていない等、その記載が極めて不備である。

③ 麻酔科カルテの体裁を見ても、昭和五六年一〇月一二日から同五八年一月七日までの記載の筆致から同一機会に連続して記載された疑いがあること、同年四月九日から同月一五日までの記載が同年一月一〇日までの記載に比べ非常に詳細であること、記載の外形的状態など不自然な点が多々存する。

(2) そして、麻酔科カルテが改竄されたものであれは、被告小坂の供述や田中医師の証言、さらには鑑定の結果の信用性にも重大な疑問が残る。

(二) 被告らの主張

(1) 原告の主張する麻酔科カルテ改竄の事実は存在せず、被告らにおいてカルテを改竄する理由もない。

(2) 被告病院における外来カルテは、全科共用に綴られ病歴室に一括保管されているため、先に麻酔科外来受付にカルテが届く前に患者が到着した場合に、カルテが届く前に治療を先行させることがあり、また、処置やその後の安静に時間を要した場合には、他科の診療等に備え、処置の途中でカルテを返すことがあった。

診療に際し、処置を行なった場合には看護婦によって外来診療行為通知書が、投薬、検査、注射を行なった場合には担当医師により、それぞれ外来処方箋、検査伝票、外来注射薬箋が作成され、料金計算窓口ではこれらに基づいて処置内容等が所定コードや数値の形でコンピューターに入力される。

(3) 診療料金領収書が存在するのに当該診療日の麻酔科カルテ自体に記載がない事例(前記(一)、(1)、①、ア)は、麻酔科カルテに記載洩れのあることは確かであるが、これは前記のとおりカルテ到着前に治療を先行させた結果、外来診療行為通知書に記載されながらカルテへの記載が洩れたものと推測される。

(4) 診療料金領収書において検査、投薬、注射、処置、手術及び文書作成の記載があるのに麻酔科カルテにその記載がない事例(前記(一)、(1)、①、イ)のうち、検査及び文書作成に関しては、文書(診断書等)の写しや検査結果報告書等が診療録のあとに順次編綴されており、カルテに一々引用する必要もないのであって、記載洩れとは考えない。また、投薬等の関係についは、外来処方箋その他の資料は担当医師が作成するのであるから、カルテの記載洩れの可能性が強いところ、担当医師が一定の投薬等を決定し麻酔科カルテに記載し、処置の終わらないうちにカルテを返却した後、右投薬等の内容を変更し、外来処方箋等に記入されながらカルテに記載されずに終わったものと考えられる。

(5) 麻酔科カルテに投薬の記載があるのに診療料金領収書にこれに見合う記載がない事例(前記(一)、(1)、①、ウ)は、外来処方箋が作成されながら料金計算窓口まで届いていなかったものであって、その理由は断定できないが、使い残しの薬を有する患者がカルテ記入後に投薬を辞退した可能性がある。

(6) 麻酔科カルテには同内容の治療内容が記載されているのに、診療料金領収書の処置及び手数料が異なる日が存在する事例(前記(一)、(1)、①、エ)は、担当医師が、麻酔科カルテに処置内容や投薬量を記載し、処置の終わらないうちにカルテを返却した後、右内容等を変更し、外来処方箋や外来診療行為通知書に記入されたが、カルテには記入されなかったものと考えられる。

2  昭和五六年一〇月一二日から同五八年一月一〇日までの治療行為について(被告小坂及び田中医師の過失)

(一) 原告の主張

(1) 被告小坂及び田中医師は、原告に対し適切な医療を施し、原告の胸部痛を除去し、治癒させる注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、昭和五六年一〇月一二日から同五八年一月一〇日までの間、カルボカイン(一パーセント)による持続硬膜外ブロック、星状神経節ブロック、肩甲上神経ブロック、肋間神経ブロックなどを漫然と長期にわたり多数回施行し、原告に後記6(一)の各後遺障害を惹起させた。

(2) 初診時の原告の痛みは中程度であり、治療継続によってほとんど症状に変化がなかったのであるから、長期にわたる持続硬膜外ブロックの必要性には疑問がある。また、持続硬膜外ブロックは合併症の危険もあるので、漫然と長期にわたって施行してはならず、定期的に客観的な方法で効果を判定することが重要であるのに、被告小坂及び田中医師はこれを行なっていない。

(3) 被告小坂及び田中医師は、原告の痛みが悪循環に陥り、あるいはカウザルギーにならないようにすべき注意義務があるところ、仮に、後記3(二)の被告ら主張のように、原告がカウザルギーないしカウザルギー様の症状を呈していたものであれば、被告小坂及び田中医師の右注意義務の違反によるものである。

(4) したがって、右不適切な医療行為は、被告小坂と田中医師の共同不法行為に該当する。

(二) 被告らの主張

被告小坂及び田中医師は、原告の胸部痛に対する治療として持続硬膜外ブロック、肋間神経ブロックを、原告の訴えた左肩関節周囲炎に対する治療として星状神経節ブロック、斜角筋間ブロック、肩甲上神経ブロックを施行したもので、いずれも当時の医学水準に照らして適切なものであり、一応の鎮痛効果もあった。

3  本件ブロックの適応について(被告小坂の過失。その一)

(一) 原告の主張

本件ブロックは、半永久的に神経を破壊し、破壊された部位の半永久的な知覚麻痺ないしは鈍痛・しびれ感などを伴い、適応症としては、通常、癌の末期患者など、痛みの程度が激痛であるか、患者に合併症が生じる危険や半永久的な知覚麻痺を伴ってもなおブロックが望ましい場合にのみ施行されるものである。一方、本件ブロック施行前の原告の症状は疼痛は残存していたものの治療を要する程ではなく、ましてカウザルギーないしカウザルギー様の激痛ではなかった。したがって、本件ブロック施行前の原告の症状には前記のような危険を伴う本件ブロックの適応はなかった。それにもかかわらず、被告小坂は、原告に対し本件ブロックを施行した。なお、治療手段の選択が医師の裁量であるとしても、それは侵襲の程度や治療効果に違いがない手段の選択についてであり、本件ブロックのような危険のある治療手段についてはあてはまらない。

(二) 被告らの主張

(1) 本件ブロックは、適応がよければ安全で効果が確実な一般化されているブロック法であり、癌性疼痛をはじめ頑固な難治性疼痛の治療として用いられているものであり、「悪性腫瘍による頑固な疼痛、動脈瘤による激痛、四肢の痙性麻痺、その他術後神経痛、頑固なその他の神経痛」や「外傷性のカウザルギー」にも適応がある。また、本件ブロックは化学的神経遮断法であるから物理的遮断より侵襲は少なく、神経機能も回復・再生・復元するのであり、その回復の速さは神経の種類と個体差、薬液の種類、投与量、投与部位、ブロックの効果と効果の範囲などによって差がみられる。したがって、本件ブロックが半永久的に神経を破壊するとの原告の主張は誤解である。本件ブロックを、上肢や下肢の痛みやこれに近い部位の支配神経領域の疼痛緩和を目的に後根神経のみのブロックを目標に施行しても、時に四肢の運動麻痺が発生することがあるが、適応さえあれば、設備の整った施設で手技のすぐれた医師が行なう場合には容認される治療法である。

(2) 原告は、本件ブロック施行前、被告小坂に対し、疼痛の激しさを訴えた上、より強力な鎮痛を促す治療方法を要請している。そして、被告病院麻酔科初診以降の原告の訴える疼痛状況をみると、原告の疼痛は、黙っているときには鎮痛剤の服用までは不要であるが、急に動いたり、力を入れたり、屈曲させたり、運動動作で急に痛み出し、どうしようもない程激烈に痛むことがあるが(このようなときには鎮痛剤の経口投与では簡単に効かない。)、また少し時間が経てば我慢できる程度に回復するといったもので、カウザルギーのような頑固な外傷性胸部痛と判断され、前記「頑固なその他の神経痛」に該当し、疼痛の程度は中等度以上と判断されるものであり、その疼痛部位も右胸部の第四胸髄から第八胸髄にかけての範囲で、手足の運動麻痺発生の危険率は極めて低く、このような点を考慮すれば、ペインクリニックの治療法として本件ブロックを選択することは自然である。医師が、患者の症状に対し、どのような診療を行なうかは医師の裁量行為であるが、被告小坂が診療として本件ブロックを採用したことは、医師の裁量行為として適切であった。

4  本件ブロックの手技の適正について(被告小坂の過失。その二)

(一) 原告の主張

(1) 被告小坂は、本件ブロックに際し、予めどの分節をブロックすべきかの必要な神経学的検査を行なっていない。

(2) 本件ブロックは、どこになされたのかが不明であり、しかも所期の効果が得られていない上、T5からT10までに麻痺が現れ、その後麻痺の部分はさらに下がっている。そのため、被告小坂は原告に対し、昭和五八年五月一〇日にもう一度本件ブロックの施行を勧めており、そのこと自体、本件ブロックの不適正さを物語る。

(3) 本件ブロック後、原告に腹部膨満及び後記6(一)の症状が発生した。

以上の事情を総合すると、本件ブロックは手技において適正さを欠いたものであり、被告小坂には過誤があったと認めるべきである。

(二) 被告らの主張

被告小坂の行なった本件ブロックは、以下のとおり適正になされたものである。

(1) 本件ブロックは、昭和五八年五月四日午前一一時三〇分ころより開始した。

① 被告小坂は、ブロックの開始に当たり、原告に対し、難しいブロックなので針を刺すときには背中を強く屈曲してほしいこと、薬液注入後はしばらくの間、ブロック台を四五度に傾けるので体が台から落ちそうになるので頭と足の方には枕を当て、枕が落ちないように紐で縛っておくことなど患者の協力が大切なことを話して、背部を消毒し、覆布をかけ、皮下浸潤麻酔を行なった後に、くも膜下穿刺を行なった。ブロック時の注意点としては、次のことを考慮しながら行なった。

ア 原告は狭心症状を訴えたり、呼吸困難を訴えることがあるので、第四胸髄神経より上の麻痺はできるだけ避けること。

イ 上下肢の運動麻痺を起こさないように体位をよく考える。

ウ 痛みの範囲がT4―T8の間であるので、T6―T7の胸椎穿刺を目標にする。

エ 痛みの範囲が広いので、注入薬液量は一五パーセントフェノールグリセリンを用いて0.5ミリリットル以内とすること。

オ 脊椎穿刺や出血を防止する。

② 穿刺に当たってはT6―T7の部位で穿刺し、リコールは清明で、出血はなかった。

一五パーセントフェノールグリセリン0.5ミリリットルを注射器に入れ、三分以上かけゆっくり注入した(実際の注入量は針の内腔容積と注射器内面付着量等からすると0.4ミリリットル位である。)。

本件ブロックでは、右薬液を注入しながら痛みの消失の様子と程度を患者に聞きながら注入するが、原告の場合も0.2ミリリットル位注入したところで、痛みの具合を尋ね「夜にはひどい痛みがある」旨の返答であったので、残量をゆっくり注入した。

③ 本件ブロック直後の状態

三〇分後ピンで突いて痛みのあるなしを調べる方法(Pin Prick法)で調べると、T5―T10の無痛域があったので、少々範囲が広いブロックではあるが十分なるブロックがなされたと思った。

くも膜下フェノールグリセリンブロックは施術後二、三日は薬が神経を刺激して痛みがあるので、いつもどの患者にも二、三日は薬が完全に固定するまで少しぴりぴりした痛みのでることを告げているので、原告にもそのように言っておいた。右側胸部に少しぴりぴりした感じはあるが、あまりひどいようではなかった。

病室に帰ってからも、注射部位を最も低くした上体と、下肢を挙上した体位をとるよう指示した。

その後は特別なこともなく、夕食も全部食べるほど食欲もあり、夜には同室の患者と談笑するほど落ち着いていた。

(2) その後の経過

原告は、本件ブロック後もすぐに食事をとっており、その後もよく食べている。また、毎日のように排便もあり、腹膜炎や腸閉塞の症状などは全くなかった。本件ブロックの翌日から蕁麻疹が出現しているが、これは本件ブロックと関係なく、ブロック後の経過としては他のくも膜下ブロック症例の術後とほとんど変ったところはなかった。

5  説明義務、承諾を得る義務の違反について

(一) 原告の主張

(1) 被告小坂は、本件ブロックを行なうに当たり、本件ブロックの当日である昭和五八年五月四日の午前中の診療の時、単に「今日はきつい注射を打つから。」とのみ述べ、原告が、本件ブロックを受けるか否かを判断する前提となる情報(必要性・有効性・危険性等)を全く提供しなかった。

(2) 原告が被告小坂の前記発言に対し、「そんなきつい注射はしたくない。」と本件ブロックを拒否したのに、被告小坂は、「この注射をしないと後遺障害診断書を書いてあげない。」と強く言った。このため原告は、本件ブロックについての正確な知識のないまま、やむなく本件ブロックの施行を承諾したのである。したがって、右承諾には重大な瑕疵があり無効である。

(3) したがって、被告小坂は本件ブロックにつき、説明義務及び承諾を得る義務に違反した違法がある。

(二) 被告らの主張

(1) 被告小坂は、昭和五八年四月二七日、原告に対し、痛みがひどく強力なブロックを望むのであれば、次の治療としてはくも膜下フェノールグリセリンブロックしかない旨告げ、原告がその方法を尋ねたのに対し、術式内容及び皮膚が麻痺して無感覚になり、しびれを感ずることもあるという合併症等について説明をしたところ、原告は、「今の苦しみが少しでも楽になるのであれば、やってもらいたい。」と言って、本件ブロックの実施を承諾する意思を表明した。

(2) しかし、被告小坂は、慎重を期し、原告に本件ブロックを受けるか否かについて熟慮期間を与え、また同月二八日、肺や心臓の機能につき内科の診断を経るべく、被告病院第四内科で受診させた上、その検査の結果を踏まえて、同月三〇日、原告に本件ブロックの施行が可能である旨話したところ、原告はこれを希望した。

(3) 原告は、同年五月二日の回診の際、被告小坂に対し、「痛みが少しでも楽になるのであればどんな方法でもしてほしい。」と述べ、本件ブロックの施行を積極的に承諾した。

(4) 被告小坂は、本件ブロック施行の当日である同月四日、ブロック開始前に原告の意思を確認している。

6  原告の後遺障害及びその原因について

(一) 原告の主張

本件ブロック後、原告に左記各症状が発生し、昭和五九年一一月ころ症状が固定し、今日まで原告を苦しめている。

(1) 右背中と右腹部の痛みと麻痺がある。

(2) 便通が悪く、小便も力を入れないと出ない。

(3) 杖なしでは歩行ができず、階段の昇降が困難である。

(4) 食欲がない。

これらの症状は、本件ブロック前にはなかったもので、本件ブロック後に発生したものであり、他に原因となるものが存在しないのであるから、本件ブロックが原因である。なお、本件ブロックは、知覚をを司る後根のみならず運動を司る前根をも半永久的に麻痺させることがあり、これを施行すれば下肢の運動麻痺、膀胱直腸の麻痺や筋力低下が発生するのは当然であり、また、原告の右腹部に発生した腫れは被告小坂の手技の不適正によって生じた蓋然性が高い。

(二) 被告らの主張

原告の主張の後遺障害の存在は争う。また、以下の理由で、本件ブロックと原告主張の後遺障害とは相当因果関係がない。

(1) 腹部から背部にかけての痛みは前記交通事故による外傷後継続するもので、麻酔科での治療中にも訴えていた症状であるので、本件ブロックに起因する痛みとはいえない。

(2) T6―T7から穿刺注入したくも膜下ブロックでは、片側の交感神経を一部遮断するので、副交感神経の機能亢進を伴い、腸管の蠕動をよくするため、便通はよくなっても悪くならない。

7  損害額について

原告は以下のとおり損害額を主張し、被告らはこれを争う。

(一) 逸失利益

金三七五五万五〇二〇円

(1) 原告は、前記諸症状のため就労不能となったが、本件ブロック施行時五二歳であり、少なくとも六七歳まで(本件ブロックを受けた日から一五年間)は就労可能であった。そして、原告は、前記交通事故によって労働能力を五パーセント喪失していたのであるから、被告病院における不適切な医療行為によって喪失した労働能力は九五パーセントとなる。

(2) 原告は、平田市において左官職として、平田市建築組合の協定の日当額に応じて、一か月二五日程度稼働していたところ、昭和六一年度の右組合の協定による日当額は、金一万二〇〇〇円である。

(3) したがって、金一万二〇〇〇円に二五日を乗じ、さらに一二か月を乗じて得られる原告の年収に、稼働可能年数一五年間に対する新ホフマン係数10.981を乗じた金額の九五パーセントである三七五五万五〇二〇円が原告の逸失利益である。

(二) 慰謝料 金一二六〇万円

(三) 弁護士費用

金五〇一万五五〇二円

第三争点に対する判断

一争点1(カルテの改竄について)

1  証拠(<書証番号略>、証人田中章生、同渡部素次、原告、被告小坂(第一、二回))及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

(一) 被告病院の麻酔科外来カルテ(乙一)と診療料金納付書・領収証書(<書証番号略>)との間には、概ね、原告主張のとおりの齟齬(第二、1、(一)、①、アないしエの各事実)の存在することが認められる。

(二) また、麻酔科外来カルテには、原告の症状について詳しい記載はなく、特に当時原告がカウザルギーであったとの明示的な記載は全く存在しない。

(三) 麻酔科入院カルテ(乙二)にも、原告の症状について詳しい記載はなく、特に当時原告がカウザルギーであったとの明示的な記載や被告小坂が原告に本件ブロックの説明を行ない、原告がこれに同意したことについての記載は全く存在しない。

(四) 一方、診療料金納付書・領収証書に文書科の記載があり、カルテにはこれに見合う記載がない日が一〇日あるが、そのうち何を作成したのかが、全く不明な日は昭和五六年一二月八日のみであり、その余の日については作成日と料金支払日に若干の違いがある日もあるが、支払に見合う診断書、証明書等が概ね存在し、全て診療録と一体として綴られている。

(五) ところで、被告病院においては、一人の外来患者用カルテは全科共用で一冊に綴られ病歴室に一括保管されており、右外来患者用カルテは、受付時に診察券(IDカード)でカルテ出庫の指示が出され、一五分おきに係員によってまとめて各科受付へ搬送され、また他科での診療に備えカルテはできるだけ早く病歴室に返還する体制であった。右体制の下では、被告病院麻酔科外来受付にカルテが届くまでに二〇分程度かかるため、患者の要望によってカルテが届く前に治療を先行させることや、麻酔科においては処置及びその後の安静に時間がかかるため(神経ブロックを施した場合など)、処置の途中でカルテが返還されることもあった。また、被告病院の医師の間でカルテの記載をできるだけ簡略に済まそうとする傾向がないとはいえなかった。

(六) 被告病院において、医師が外来患者に対し診療行為を行なう際には、通常看護婦がカルテに日付・担当医師名のゴム印を押し、医師が内容を記載する。処置を行なった場合には、看護婦によって外来診療行為通知書が作成され、投薬・検査または注射が行なわれた場合はそれぞれ外来処方箋、検査伝票、外来注射薬箋が担当医師によって作成され、料金計算窓口において、これらの資料に基づき処置内容等がコンピューターに入力され、これに基づき診療料金が算出される体制である。

(七) 原告は、昭和五八年五月二八日に被告病院を退院後、数回被告小坂らと病状について会話を交わしたが、その際、原告は常に同月四日に施行されたブロックのことを問題としており、原告が証拠保全(昭和五九年モ第一七二号)を申立てた際にも、主に右ブロックの過誤を問題としていた。

2  以上の認定事実を前提として、麻酔科カルテの改竄の有無について検討する。

(一) 右1で認定の事実によれば、麻酔科カルテと診療料金納付書・領収証書との間には多数の不一致が存在し、カルテが実際に行なわれた診療の全てを網羅的に記載していない部分もあることが認められ、これら不一致に関する被告らの主張(第二、二、1、(二))も多分に想像の域を出ないものであって、必ずしも右不一致の原因を明確に説明しているとはいい難い。

(二) しかしながら、右不一致の存在が直ちに被告らによるカルテの改竄を推認させるものということもできず、むしろ、以下のような点を考慮すれば、カルテの改竄は存在しないものと認めるのが相当である。

(1) 被告らが、仮に麻酔科カルテを改竄するとすれば、原告主張のとおり不利な点を削除し有利な事項を付加するであろうが、そのような観点において麻酔科カルテ及び診療料金納付・領収証書をみても、特段改竄を疑わせる形跡等不自然な点は認められない。特に本件においては、被告小坂らにおいて、原告の言動等から、本件ブロックの適応の有無や手技の適正、原告の同意の有無が争点となることが訴訟前から予測可能であり、かつ実際にもこれらの点が争点となっているにもかかわらず、前記認定のとおりカウザルギーや原告に対する説明・同意に関する明確な記述はなく、その他の争点に関する記載も簡略であって、少なくとも、被告らに有利な事項を付加するという方向での改竄がなされた形跡は認められない。

(2) 原告と被告らとの間の争点は、少なくとも証拠保全手続に至るまでは主に本件ブロックの適否であるところ、既に認定した不一致は概ね外来カルテに関するものであり、原告が外来で治療を受けていた昭和五六年一〇月一二日から同五八年四月一五日までの間の診療行為について、カルテの改竄が露見する危険を省みずにそれほど大掛かりな改竄をして、真実の診療内容を隠蔽せざるを得ないような事情、動機は、本件全証拠によっても認められない。

なお、この期間の診療に関し、診療報酬明細書(甲九)に後頭神経ブロックを一回施行した旨の記載があるがカルテにはこれが存在しないという点については、後頭神経ブロックは原告の症状(胸部痛、左肩痛等)に適応がなく(証人田中、鑑定の結果)、これが唐突にただ一回だけ施行されたというのも不自然であること、また、外来診療行為通知書の様式からみて被告病院の料金計算窓口において誤ってコンピューター入力された可能性が否定できないこと(弁論の全趣旨)に照らし、後頭神経ブロックは施行されなかったと認められ、したがって、右診療報酬明細書の記載は何らかの手違いによる誤りであって、これに対応したカルテ上の記載が改竄によって削除されたものとは考えられない。

(3) 原告は、右不一致以外にもいくつかの記載の体裁を理由に麻酔科カルテが改竄されたものと主張するが、乙一、二号証を精査しても、その体裁自体からこれらが改竄されたと認められるような不自然な点は発見できず、右主張は採用できない。

以上のとおり、乙一、二号証からは改竄の形跡を見い出せないこと、本件全証拠によっても被告らが麻酔科カルテを改竄する理由が特に認められないこと(証拠保全以前に被告らに不利な何らかの記載が存在したが、改竄により事後的な検出ができなくなった可能性を全く否定し去ることはできないが、あくまで抽象的な可能性にとどまるものである。)や、カルテを改竄する行為の重大性等を考慮すれば、にわかにカルテ改竄の事実を肯認することはできず、また前記認定の被告病院におけるカルテ等の管理体制を考慮すれば、被告ら主張のようなカルテ記載の際における過誤の可能性も十分想定されるものであり、結局、原告主張の不一致等から被告らによる麻酔科カルテの改竄の事実を推認することはできない。

3  なお、原告が看護記録(乙二の二三丁以下)についても改竄の事実を主張するのかどうかは必ずしも明らかではないが、看護記録については、その記載等に矛盾や不合理な点は特に存在せず、改竄の疑いは認められない。

4  以上のとおり、麻酔科カルテが改竄されたとは認めることはできず、記載が簡略であることを証拠評価の上で考慮することは別論として、右カルテを、原告の症状の変化や被告病院における診療内容を認定する証拠資料として採用することは妨げないものと認める。

二争点2(昭和五六年一〇月一二日から同五八年一月一〇日までの治療行為について)

1  証拠(<書証番号略>、証人田中、同渡部、原告、被告小坂(第一回、以下特に明示しない限り第一回のみを指す。))、並びに既に認定した事実及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告は、昭和五五年二月二一日交通事故に遭った後、平田市の河原医院、出雲市の錦織整形外科病院等で治療を受け、さらに出雲市民病院整形外科において右第五、第六肋軟骨損傷及び第一二肋骨骨折と診断され、同病院に通院し薬物療法、湿布、マイクロ波療法等の治療を受けた。しかし、原告の右胸部から背部にかけての痛みは安静時にも持続し体動時には増強するため、その治療のため、昭和五六年一月一六日被告病院整形外科で受診し、同月二六日からは内科で受診したが、レントゲン検査の結果、胸椎及び肋骨には異常がないことが判明し、整形外科においては特に治療を受けず、内科においては同年一〇月七日までの間薬物療法等による治療を受けたが、原告の右症状に改善はみられなかった。そこで、原告は、被告病院内科から院内紹介を受け、同月一二日同病院麻酔科で受診した。

(二) 原告は、被告病院麻酔科初診時、右乳房以下の胸部から腹部にかけての自発痛及び圧痛、右季肋部から右背部にかけての放散痛を訴えた。疼痛の程度は中程度で、体動時や咳をした時、寒冷時や悪天候の時あるいは夜には痛みが増強し、右痛みのため原告は仕事をしていないという状況であった。また、麻酔科受診までのレントゲン検査の結果によれば、胸椎、肋骨に骨折所見等の異常は認められず、神経学的検査によっても病的反射は認められなかった。田中医師及び被告小坂は、被告病院整形外科、内科のカルテ及び原告に対する問診・触診に基づき、原告の症状を前記交通事故を原因とする外傷性胸部痛と診断し、外傷後長時間経過しても痛みが治らず、頑固で難治性であったことから、その痛みの本体がカウザルギーもしくはカウザルギー様の疼痛ではないかとの疑いを持った。

(三) 被告小坂及び田中医師は、原告に対し、胸部痛等の治療として、同月一二日にカルボカイン(一パーセント)による肋間神経ブロックを行ない、その後、同月一四日から同五七年九月六日にカテーテルが原告の体に挿入できなくなったため中止するまでの間、約一九三回にわたりカルボカイン(一パーセント)による持続硬膜外ブロックを行ない(その間に肋間神経ブロックも約一二回施行している)、同日以降同五八年一月六日までの間に肋間神経ブロックを約一九回施行したが、ブロック直後には原告の疼痛がしばらく和らぐものの、時間がたつと再び痛み出すという状態であった。右ブロック治療の施行中、田中医師及び被告小坂は、原告の疼痛に精神的な面が関係している可能性を考え、同五七年六月二七日から、抗うつ剤であるトフラニールの投与を始めている。また、原告は、同年春ころから左肩の痛みを覚え始め、同年四月九日には、左上肢挙上時に肩痛が著明で結帯ができない旨訴えたので、田中医師及び被告小坂は、これを左肩関節周囲炎(いわゆる五十肩)によるものと判断し、カルボカイン(一パーセント)による左星状神経節ブロック(同年四月九日から同年一一月一二日まで約五〇回)、左肩甲上神経ブロック(同年五月二八日から同年八月二八日まで約四三回)、斜角筋間ブロック(同年五月一八日及び一九日の約二回)の治療を行なった。さらに、田中医師及び被告小坂は、原告の疼痛の治りが悪いことや、呼吸困難を訴えるため、院内紹介によって原告に内科で受診させたが、同年九月一三日、同年一一月一七日、二四日に行なわれた呼吸機能検査、細胞診検査、動脈血ガス検査及びレントゲン検査の結果によっても原告に胸部疾患等は認められなかった。

2(一)  以上の認定事実に基づき、被告小坂及び田中医師の過失について判断するに、

(1) 前記認定のとおり、昭和五六年一〇月一二日から同五八年一月一〇日の間における原告の症状は、昭和五五年二月二一日の交通事故による受傷以来約一年八か月を経過し、骨折等の外傷自体は治癒したとみられ、かつ、被告病院麻酔科を受診するまで多数の医療機関で受診し、理学的療法・薬物療法等による治療を受けたにもかかわらず、胸部痛が頑固に持続していたことに照らせば、これ以上の理学的療法・薬物療法により軽快は期待できず、神経ブロック術による疼痛除去を行なうことが適切であると認められたこと、

(2) 原告の右症状は、痛みの悪循環(外傷による痛みの知覚神経刺激が脊髄に入り、その一部が脊髄反射路を介して交感・運動神経を刺激し、血管収縮や筋緊張を引き起こす結果、代謝産物の蓄積から発痛物質を生成し、これによる痛みが再び知覚神経を刺激するという循環。)を疑わしめるものであり、この悪循環を遮断し疼痛を鎮め悪化を防ぐには、交感神経をブロックすることが適切であること(<書証番号略>、証人田中、被告小坂、鑑定の結果)、

(3) 右目的には肋間神経ブロック、持続硬膜外ブロック、胸部交感神経節ブロック、くも膜下ブロック等が考えられる。そして、右各ブロックのうちでは持続硬膜外ブロックが比較的容易で広範囲の交感神経のブロックができること、肋間神経ブロックは注射する箇所が二、三箇所となり患者の苦痛が増大し、長期間施行すると誤って気胸を発生させる危険があること、胸部交感神経節ブロックは手技が難しく、気胸等の合併症の危険があることを考慮すると、田中医師及び被告小坂が、持続硬膜外ブロックを中心にして行なった、前記治療行為は適切であると認められること(<書証番号略>、証人田中、被告小坂、鑑定の結果)、

(4) 前記認定のとおり、原告はブロックによって短期間ではあるが疼痛の緩和を得ており、前記治療行為に一応の効果があったといえること、

(5) 原告の症状のような痛みの悪循環の疑われる難治性の疼痛の治療のためには、疼痛が取り除かれるまで長期間多数回にわたり神経ブロックを行なう必要があること(<書証番号略>、証人田中、被告小坂、鑑定の結果)、

(6) 前記認定のとおり、麻酔科受診前後の検査等によっても、原告の疼痛の原因と目される器質的な異常は認められないこと、

(7) 前記認定のとおり、原告の左肩関節周囲炎(いわゆる五十肩)に対し、星状神経ブロック、肩甲上神経ブロック、斜角筋間ブロックを施行したが、右各神経ブロック術は、いずれも肩関節周囲炎に適応のあること(<書証番号略>、証人田中、被告小坂、鑑定の結果)、

等の事情を総合すれば、田中医師及び被告小坂の行なった前記治療行為はいずれも適切なものであって、本件全証拠によっても、右診療行為が原因となって原告の胸部痛を悪循環に陥らせ、カウザルギーないしカウザルギー様の症状を招来せしめたと認めることはできない。

(二)  なお、原告は、右治療期間中に、呼吸困難を訴えているが、麻酔科受診前の内科受診中にも呼吸困難を訴えており(<書証番号略>)、麻酔科初診の際にもその旨田中医師に述べていること(証人田中)、ペインクリニック目的の持続硬膜外ブロック等の右治療期間内に施行された神経ブロックは脊椎麻酔の場合と異なり呼吸機能に影響を及ぼしにくいこと(<書証番号略>、証人田中)、院内紹介による呼吸機能検査によっても胸部疾患が認められなかったこと(<書証番号略>)等の点から考えると、原告の呼吸困難は、胸部痛による呼吸制限もしくは息苦しいような胸部疼痛であると推認できる(証人田中、被告小坂)。

原告は左肩痛及び左上肢挙上困難は前記神経ブロックが原因であると供述するが、右供述には客観的根拠が乏しく、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。また、被告麻酔科における治療中断後に原告の身体に蕁麻疹が発生したが(<書証番号略>、原告)、本件全証拠によっても、右蕁麻疹と被告麻酔科における治療行為との間に因果関係があるとは認められない。

原告に脊髄炎が発生した事実は、本件全証拠によっても認められない。

3  したがって、被告病院麻酔科における昭和五六年一〇月一二日から同五八年一月一〇日までの治療行為につき、被告国の医療契約の不完全履行ないし田中医師と被告小坂の共同不法行為の主張はいずれも理由がない。

三争点3ないし6について判断する前提として、昭和五八年一月一〇日に原告が被告病院麻酔科での治療を中断した以降の事実経過について検討する。

1  証拠(<書証番号略>、証人田中、同渡部、原告、被告小坂、鑑定の結果)、並びに既に認定した事実及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

(一) 原告は、昭和五八年一月一〇日、被告病院における治療を一旦打ち切ったが、田中医師及び被告小坂の前記治療によっても原告の右胸部痛に改善はほとんど認められなかった。

(二) 原告は、同年二月一四日、前記交通事故の加害者を相手取り、損害賠償請求の調停申立(出雲簡易裁判所昭和五八年交第二号事件)をなし、同年四月七日、第一回期日に出頭して、後遺障害等級表の第七級くらいを認めてほしい旨述べた。

(三) 原告は、同年四月九日、被告病院麻酔科に被告小坂を訪れ、田中医師作成の昭和五七年一〇月一二日付自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書を提示し、その中の事故との関連及び余後の所見の欄に「日常生活に多少の制限がある」と記載されているが、保険会社(農協共済)から右文言では意味がないと言われたので、「多少」とあるのを「かなり」という表現に書き直してほしい旨被告小坂に申し入れた。これに対し、被告小坂は、右診断書が田中医師作成のものであること等を理由に右申し入れを断り、治療と鑑別を兼ねて入院することを勧め、その後に診断書を書きたいと述べたところ、原告は入院を承諾し、さらに胸部痛が著しく、一日に一、二回は胸部痛による呼吸困難が起こると訴えた。

(四) 原告は、昭和五八年四月一八日被告病院に入院した。その際、原告は、右季肋部から背部にかけての痛みと呼吸苦があり、呼吸苦は特に排尿時に強く、痛みのため息苦しく寝ていても座っていても苦しい時はどうしようもないと訴えていた。被告小坂は、原告を被告病院に入院させる際、原告を校費患者として扱い医療費を支払わずに済むような方法をとり、原告もこれに同意し、原告の妻が代筆して、「校費患者申請書」中の「承諾」欄に、原告の氏名その他を記入し押印して提出した。

(五) 原告は、同年五月四日に本件ブロックが施行されるまでに、動脈血液ガス分析、呼吸機能検査、心電図検査、生化学検査を受けたが、その結果に異常は認められなかった。その間、原告は、数回肋間神経ブロックの施行を受けたが、原告の痛みの状態は一進一退で、相変わらず被告小坂や看護婦らに痛みを訴え、時には不眠傾向にあるとまで述べていた。被告小坂自身は原告が同年四月九日に再来した時から原告の症状につき、その訴えの内容に疑念を抱いていたが、原告が被告小坂のみでなく看護婦らにも疼痛を訴えていること、同月二八日内科を受診した際にも、「以前から労作性呼吸困難があったが一月から増強し、階段を二階まで上がっても胸がせつくなる。安静時でも起きる。持続時間は二〇分から一時間で家に居る時は一日に二回起きる。」と訴えていること等から、次第に原告の痛みはカウザルギーもしくはカウザルギー様のひどい痛みであるとの認識を深めるようになっていった。

(六) 同年五月四日午前一一時三〇分ころから、治療室において、被告小坂は、本件ブロックの施術を開始し、まず、右側脊髄神経後根のみをブロックできるよう、原告の身体を右を下にして四五度傾けた体勢のまま動かないように寝台に固定した上で、背部を消毒、皮下浸潤麻酔の後、T6―T7の胸椎穿刺を目標としてフェノールグリセリン(一五パーセント)0.5ミリリットルを三分間以上かけて注入し、約四五分後に本件ブロックを終了した後、原告を病室に帰らせた上、午後六時までは右下側臥位で頭と足を高くして休養するよう、また、明朝までは右下側臥位で安静にするよう指示した。

(七) 本件ブロックの結果、原告にT5からT10(第五胸髄から第一〇胸髄)までの知覚麻痺が発生するとともに、原告の訴えていた胸部痛はかなりの程度で消失し、その効果が認められたが、なお、原告は、右側胸部や腹部から背部にかけての痛みが残る旨訴えていた。このため、被告小坂は、同月一〇日、再度くも膜下フェノールグリセリンブロックを施行しようと原告に勧めたが、原告はこれを断った。

他方、原告は、右胸部にぴりぴり電気が走るような痛みや、右側腹部から右季肋部にかけてのしびれ感を訴え、また、原告の右腹部に膨隆がみられたり、全身に蕁麻疹が発生したりした。また、原告は、同月六日、脊椎穿刺による頭痛・ふらつきを訴えたため、しばらくの間歩行器や車椅子を使って移動していたが、同月一四日には歩行器なしでしっかり歩けるようになった。なお、原告は入院中十分に食事をとっており、便通・排尿の状況も正常であった。

原告は、同月一七日から一九日まで自宅に帰って外泊したが、一九日被告病院に戻った際、階段を昇ると右側胸部に力が入らなくて歩きにくかったと訴えた。

原告は、同月二五日呼吸機能検査を受け、正常であるとの結果を得た。

(八) 原告は、同月二八日、被告病院を退院した。被告小坂は、原告に対し、同日付診断書(<書証番号略>)を作成、交付し、その中で、病名を右外傷性胸部痛、右側胸部から前胸部へかけての自発痛及び圧痛と表示し、所見として、右側胸部から前胸部にかけての自発痛と圧痛があること、胸痛が著明になると息苦しさを感じること、肺機能検査、心電図検査で器質的障害は発見できなかった旨記載した。また、同年六月六日付で、右診断書と同趣旨の内容で、さらに所見として、心電図検査、動脈血ガス値の検査、肺機能検査の各結果がいずれも正常であったこと、胸痛発作については肋間神経痛様発作以外にも前胸部痛を訴え、ひどい時には起坐呼吸をするほど息苦しくなること、T5―T6のフェノールグリセリンブロックを試みたが、現在T5―T10間の知覚麻痺があるにもかかわらず、肋間神経痛様の疼痛が残存する旨の記載を加えた診断書(<書証番号略>)を作成し交付した。

(九) 原告は、同年六月一三日から八月三〇日までの間七回にわたり腹部膨満の診療を目的として被告病院内科で受診した。その際原告は、腹部ないし胸部の疼痛を訴えていたが、少なくとも同年八月一六日の段階では便秘及び下痢はないとのことであったし、歩行困難に関する訴えも特になかった。内科の診療では腹部膨満、蕁麻疹、胸部の疼痛等が原告に認められたが、蕁麻疹は同年六月一八日には軽快したし、肋間神経痛の有無ははっきりせず、胸部レントゲン検査、生化学検査Ⅰ、Ⅱ、腹部CT検査、心電図検査等を行なったが、結局原告の腹部膨満の原因ははっきりしなかった。

また、この間に原告は、同年六月二七日から同年七月一日まで三回にわたり松江市立病院で慢性胃腸炎、慢性肝炎の病名で受診したが、その際の主訴は便通が悪い、かゆみを伴った発疹があるとのことであり、さらに腹部膨満が認められた。

(一〇) 原告は、同年八月二九日、右上腹部痛の主訴で岡山大学医学部附属病院で受診した。腹部膨満は認められたが、ガスではなく脇腹自体が腫れている様子であり、腹部、胸部レントゲン写真によっても異常は認められなかった。なお、この時原告は、食欲不振を訴えている。

(一一) 原告は、同年九月五日から同六〇年七月一二日まで七回にわたり松江生協病院整形外科及び内科で受診し、以下のとおり診療を受けた。

(1) 同五八年九月五日、左上肢挙上困難を主訴として整形外科を受診し、左肩関節のレントゲン検査を受け、同月九日には関節造影を受け、左肩関節に軽度の運動障害があると判断されたが、腱板損傷等は認められなかった。同病院の山根実医師は、同月一四日付で身体障害者診断書・意見書を作成したが、それによると、原告の傷病名は左肩関節拘縮であり、身体障害者福祉法別表に掲げる障害の第五級に該当するが、日常動作は概ね正常と判断されており、握る、つまむ、書字その他の作業は補助具を使用せずに一人でうまくでき、歩く、起立位保持、座位、立ち上がるはいずれも正常、片足立ち、階段の昇降、下駄・草履をはくことはいずれも可とされている。原告は、同年一〇月二九日、島根県から、左肩関節の著しい機能障害との傷病名で身体障害者等級表による級別五級として身体障害者手帳の交付を受けている。

(2) 原告は、同年九月一四日、みぞおちや右下腹部・背部の痛みのため歩くと響く旨訴えて内科を受診し、さらに同五九年一月二五日にはこれに加えて便秘を訴えた。

(3) 原告は、同六〇年一月二一日、本件ブロックを受けた日から腰が痛くて坐位、歩行が困難なため身体障害者手帳の交付を受けたい旨訴えて整形外科を受診した。同日の検査によると、上肢の反射は正常であり、上下肢の知覚障害は左右ともなく、第八胸神経領域の帯状知覚障害があり、エデンのテストは右で陽性、腱反射に亢進が認められたがバビンスキー反射は出現しなかった。また、レントゲン検査の結果、胸椎第一〇、第一一の黄靭帯骨化症が疑われた。結局、同病院の医師は、原告の症状は身体障害者手帳交付の対象とはならないと判断するとともに、黄靭帯骨化症が強く疑われるので原告に入院精査を勧めたが、実現しなかった。

(4) 原告は、同年六月二八日及び同年七月一二日、整形外科を受診した。六月二八日の検査によると、知覚障害は左右ともあり、巧致運動障害あり、膝蓋腱反射、アキレス腱反射は両側とも亢進、バビンスキー反射は左がやや陽性、坐骨神経走行部の臀筋部の指圧、膝窩部の圧痛試験、大腿神経伸展試験はいずれも右が陽性、つま先立ち試験・かかと立ち試験では右がやや悪いとの結果が出たが、その余の多くの試験、腱反射について正常であった。また、七月一二日にはドレッドミル歩行能力テストが行なわれたが、時速一〇キロの歩行が不能で、正常歩行も二〇メートルほどしかできないとの結果であった。同病院の山根医師は、同日付で身体障害者診断書・意見書を作成したが、それによると、障害名は体幹、下肢機能障害で、原因となった疾病は脊椎黄靭帯骨化症であり、右胸部の知覚異常、両下肢の痙性麻痺があり下肢の脱力のため、長期間機能できないとの所見が記載されており、その他、排便機能障害や、手袋状及び靴下状知覚障害があり、動作としては、書字が右手半介助、左手不能、箸による食事が右手半介助、片足立ちが右が半介助、座位及び起立位保持が二〇分、歩行が二〇メートル、屋外での移動、階段昇降が半介助等とされている。

(一二) また、原告は、平田市立病院で、同五八年九月二二日に左関節周囲炎の病名で、同六〇年一月二五日及び同年二月八日に胸部痛の病名でそれぞれ受診した。同年一月二五日の検査の結果では、上下肢ともに筋萎縮はなく、右胸部に向かう放散痛あるも、腰椎に変形、筋硬直なく、腱反射も概ね正常で、知覚障害・運動障害も認められなかった。

(一三) 原告は、同六〇年九月一二日から同年一一月二五日まで六回にわたり鳥取大学医学部附属病院を受診した。初診時に原告は、現在、背部痛、腹痛、両上下肢のしびれ感及び二か月前位から頭部の重い感じとふらつきが加わったと訴えた。

原告は、同病院において、以下のとおり診療を受けた。

(1) 同病院の高橋和郎医師は、同年九月一二日の初診時に、両手、両足に触覚、痛覚の低下を認め、反射テストにおいて、二頭筋反射、三頭筋反射等が陽性であるが、バビンスキー反射は陰性であり、ロンベルグテストは陰性、脳神経にも異常は認められず、徒手筋力テストは正常であるが、左上肢の挙上に制限があるとの結果を得た。高橋医師は、一応考慮すべきものとして、ブロック、脊髄空洞症、医源性疾患を考えた。

(2) 同年一〇月二八日、高橋医師は、左上肢の挙上困難、右胸部から腹部にかけての痛覚、触覚の減弱、手袋型の触覚低下、靴下型の触覚減弱を認め、また、徒手筋力テストは上下肢とも正常、握力も正常、アレンのテスト、ハルステッドテストは陰性、拮抗運動反復不能症なし、膝蓋腱反射はやや亢進、アキレス腱反射は陽性だがバビンスキー反射、チャドック反射、オッペンハイマー反射は陰性、バーレの試験は軽度の陽性、ミンガジニ試験は陰性、腹臥位における上肢挙上は可能との結果を得、着衣時には手の挙上は可能で、左手の動きも良好との観察を得た。そこで、高橋医師は、原告の症状について、①左手挙上制限、②右T5から12に知覚障害があり、③上下肢に手袋型及び靴下型知覚障害あるも演技的である、④急性期(七か月前)に右側腹部腫大ありとの診断をした。

(3) 高橋医師は、同年一〇月三〇日、麻酔科に対し、フェノールグリセリン髄腔内投与により前記のような症状が起こり得るかを紹介したが、状況が分らないため判断しかねるとの回答を受けた。なお、レントゲン検査及び末梢神経伝導速度の検査においても、原告に特に異常は認められなかった。

2(一)  原告は、昭和五八年一月一〇日に一旦被告病院における治療を打ち切ったころには、その胸部痛が少しは残っていたものの、かなり軽くなり治療を要しない状態であったこと、被告病院に入院した同年四月一八日も同様の状態であり、原告が被告病院に入院したのは、後遺障害診断書を作成することのみが目的であったこと、原告は、被告病院に入院するに際し、校費患者として扱われることを聞いてはおらず、校費患者となることを承諾もしていないことを主張し、原告本人もこれに沿う供述をしている。

しかしながら、原告の右供述は、反対趣旨の乙一(麻酔科カルテのみならず内科カルテにも同旨の記載がある。)、同二、証人田中の証言、被告小坂の供述に照らしても、あるいは従前には原告自身が胸部痛が改善されなかった旨陳述していたこと(<書証番号略>、弁論の全趣旨)、原告の妻は後遺症が発生したため原告が入院したとの意識を持っていたこと(<書証番号略>)、原告は入院中に少なくとも苦痛を伴う肋間神経ブロックの施術を任意に受けていたこと、仮に原告が特に痛みを訴えていないのであれば、校費患者として経済的に優遇してまで入院させ治療する理由が被告小坂にあったとは認められないこと等の点から考えても、たやすく信用できない。なお、原告は、最後の点について、被告小坂は原告に対し実験的治療の対象としての役割を期待して本件ブロックを行ない、また校費患者として扱ったかのように主張するが、仮に原告が治療を要しない状態であれば実験的医療の対象とする意味すらないから、被告小坂にあえて原告を実験的医療の対象として本件ブロックを行なう必要性や意図があったとは認められない。

(二)  また、原告は、被告病院の看護婦に対し、痛み等の症状を訴えたことはないこと、松江生協病院において、医師から入院を勧められたことはない旨供述し、同旨の陳述書(<書証番号略>)を提出しているが、被告病院入院カルテ等(乙二)中の看護記録や松江生協病院カルテ(<書証番号略>)には明確に右の各記載が存在するのであって、原告の右供述はたやすく信用できない。

四争点3(本件ブロックの適応について)

1  本件ブロックについて

(一) 本件ブロックは、くも膜下腔に神経破壊剤であるフェノールグリセリンを少量注入し、脊髄神経のうち後根(主に知覚神経繊維と求心性の自律神経繊維を含む。)を選択的に破壊し、痛みの伝達路を遮断し長期の鎮痛を得る方法である。なお、フェノールグリセリンは、脊髄液より比重が重いので、患者の脊髄神経後根のみブロックするため、四五度の角度の半仰臥位にして後根がくも膜下腔の中で最も低い位置にくるように患者を固定して術式を行なわなければならない。(<書証番号略>、被告小坂、鑑定の結果)

(二) 本件ブロックを行なう際には、薬液の量は0.5ミリリットル以下で十分であり、一ミリリットル以上注入することは危険が多く、また針が動かないようにして非常にゆっくりと注入を行なわなければならない(<書証番号略>、被告小坂)。

(三) 本件ブロックの合併症として、①脊髄に針を入れたり、脊髄に薬液を注入した場合に起こる脊髄損傷による重篤な症状、②膀腔障害ないし直腸障害、③運動麻痺、④筋力低下、⑤脊髄神経炎ないし脊髄神経周囲炎による難治性の痛覚過敏、灼熱痛等が考えられるが、合併症が発生する場合の多くは、患者の脊髄や脊髄近辺の異常が存在する場合や、患者が手術の体位を保つことができなかった場合等に起こっている。そして、膀腔・直腸障害は、腰椎付近でブロックが行なわれ、両側のS3ないしS5の神経が侵されたときに現われるのが胸椎以上でブロックが行なわれた場合は脊髄自体が侵されない限り余りみられないし、運動麻痺は前根が薬液で侵された場合や脊髄が侵された場合に現われること、筋力低下はC2ないしC4、T1からL2までに限局したブロックならよいがC5ないしC8、L2からS1に及べば筋力低下が避けられないことが認められる。(<書証番号略>、被告小坂)

(四) 本件ブロックの適応症としては悪性腫瘍による疼痛が中心であるが、その他にも、動脈瘤による激痛、四肢の痙性麻痺、その他術後神経痛、頑固なその他の神経痛、神経根炎、ヘルペス後の頑固な神経痛、慢性膵臓炎、狭心症等があげられている(<書証番号略>、被告小坂、鑑定の結果)

(五) 本件ブロックの禁忌としては、①四肢の運動麻痺が避けられないとき、②末梢での神経ブロック治療が一時的にも効果のないとき、③腫瘍が脊髄に転移しているとき、④痛みの領域が広範なとき、⑤痛みが軽く他の治療法があるとき、⑥穿刺部位に感染巣があるとき、⑦脳・脊髄・脳脊髄膜炎等が疑われるとき、⑧患者が非協力的もしくは同意しないとき等があげられる(<書証番号略>、被告小坂)。

(六) 右に述べたような点さえ守れば、本件ブロック自体が危険な手技であるとまではいえない(<書証番号略>、被告小坂)。

2  本件ブロック時の原告の症状について

(一) 本件ブロック時の原告の症状は、カウザルギーもしくはカウザルギー様の疼痛を疑わせるものであった(<書証番号略>、証人田中、被告小坂、鑑定の結果)。

そして、原告の痛みは、右季肋部から背部にかけての痛みできりきり痛むと表現しており、被告病院に入院した日には苦しそうな表情に見受けられ、胸部痛による呼吸困難を訴えていた。そして、基本的には睡眠はよくとれるが、入院中には不眠傾向を訴えることもあり、さらに、痛みのため息苦しく、寝ていても座っていても苦しいときはどうしようもないと訴えていた(<書証番号略>、被告小坂)。

(二) これに対し、原告は、本件ブロック当時、原告の痛みは治療を要するものではなかったと主張し、原告本人はこれに沿う供述をし、また同旨の陳述書(<書証番号略>)を提出しているが、これが信用できないことは既に判示(前記三、2、(一))のとおりである。

(三) また、原告は、前記認定の症状が、文献等(<書証番号略>)にある典型的なカウザルギーの症状と異なることや、被告小坂が他事件で裁判所から鑑定を依頼され、これを行なった際には、患者に対し諸検査を実施しているのに、本件では、原告の症状について特徴的な痛み、血行障害、神経症によって起きる組織の萎縮症について、慎重で詳細な検査を行なっていない点を指摘する。

しかしながら、一般にカウザルギーは四肢末端に発症するものが典型的であって、原告の疼痛のように胸部に発症したものとは必ずしも同列に扱うことができず、しかも右典型的症状が必ずしも全て現われるとは限らないとされているから(<書証番号略>、被告小坂)、原告の症状からカウザルギーもしくはカウザルギー様疼痛とした被告小坂の判断が不相当であるとはいえない。また、原告が指摘する被告小坂の他事件の鑑定作業は、裁判所の依頼により交通事故被害者の現症状の鑑別それ自体を目的として行なわれたものであり(<書証番号略>)、本件のように、特定の患者を継続的に診療し、その診療を踏まえ患者の症状を判定し、治療方法を決定する場合と必ずしも同一視できないものといわなければならない。

3  そこで、本件ブロックが原告の症状に適応があったかについて判断する。

(一)  本件ブロック時の原告の症状はカウザルギーもしくはカウザルギー様疼痛であって、前記の適応症のうち、「頑固なその他の神経痛」に該当すると認められる。

(二)  本件ブロックの適応の条件として、適応症に該当することのほか、他の神経ブロック術等で除痛が得られないこと、しかし、右ブロック術によって一時的であれば除痛の得られること、痛む部位が分節的に限局されていることがあるが、本件で前二者の条件を充足していたことについては既に認定したとおりであるし、さらに、後者に関し、原告の疼痛を訴える部位はT4からT8の範囲に限局されていたことが認められる(<書証番号略>、被告小坂、鑑定の結果)。

(三)  そして、肋間神経ブロック及び胸部交感神経節ブロックはいずれも手技の過誤によって気胸を起こす可能性があること、本件ブロックは、一定の重篤な合併症の可能性があるものの胸椎以上をブロックする際には比較的危険性が低く、ことに、本件のようにT4からT8の限局した部位に疼痛がある場合は手足に麻痺の出る可能性が非常に低いこと(<書証番号略>)、癌性疼痛のように脊髄に病変があるとは認められないこと、したがって、一定の禁忌及び手技上の注意点や患者の体位等に注意すれば本件ブロック自体が危険なものとまでいうことはできないこと、本件ブロック前の原告に対する検査の結果には特に異常な点がみられなかったこと、結果的に、本件ブロックに原告の症状に対する効果が認められたこと等の諸点に照らせば、必ずしも原告の主張のとおり、原告の症状が本件ブロックによる危険性に比べて軽微であるとして適応がなかったとは認めることはできず、被告小坂の本件ブロック選択が医師の治療行為選択の裁量の範囲を越えたものとはいえない。

4  よって、本件ブロックが、原告の症状に適応がないのに実施した違法があるとは認められない。

五争点4(本件ブロックの手技の適正について)

1 本件ブロック施行の状況は、前記三、1、(六)で認定のとおりであり、その手技において明らかに適正を欠く点があることは認められない。

2  原告は、主に後遺障害その他の原告の症状が本件ブロックに伴って発生したとの結果を前提として、その原因として、被告小坂の本件ブロックの手技が適正を欠いたことを導きだしていると解することができるので、原告が本件ブロックの結果として主張する後遺障害を含む原告の各症状につき検討する。

(一) 本件ブロック施行後、原告に右側腹部腫腸ないし膨隆の症状が出たことは既に認定したとおりであり、右原因は、本件ブロックの際くも膜下の前根にフェノールグリセリンが影響し、運動神経を一部麻痺させたため腹筋の弛緩が起こったことが原因であると認められる(<書証番号略>、被告小坂、鑑定の結果)。

(二) 他方、本件ブロックを受けた直後から原告の全身に蕁麻疹が発生したことは既に認定したとおりであるが、原告は、入院以前や入院後本件ブロック施行以前においても蕁麻疹に悩まされていたこと、本件ブロックが一般に、合併症として蕁麻疹を発症させるものとは認められないこと(<書証番号略>、被告小坂)等に照らし、右蕁麻疹の発症と本件ブロックには因果関係があるとは認められない。

(三) また、原告は、現在、右背中から右腹部に疼痛と麻痺がある旨主張し、原告本人はこれに沿う供述をし、同旨の陳述書(<書証番号略>)を提出している。しかしながら右各証拠によると、原告は、本件ブロックによってそれまで感じていた疼痛が消失し、その後、昭和五八年七月下旬ないし一〇月ころから現在ある疼痛等が現われたこととなるが、仮に右のような疼痛等が右時期から存在するとしても、本件ブロックによって胸部痛等の疼痛が一旦消失しても、場合によっては三ないし六か月以下で本件ブロックが効力を喪失し、疼痛等が再び出現する可能性を有することに照らすと、右疼痛等の症状と本件ブロックとの因果関係はこれをたやすく認めることはできない。

さらに、原告主張の脊髄神経炎ないし脊髄神経周囲炎が本件ブロックにより発生したと認めるに足りる証拠はない。

(四) 原告が、本件ブロック施行後に便通が悪いことや排尿が困難であること等を訴えていたことは既に認定したとおりであるが、少なくとも入院中は原告の排便・排尿の状態は正常であったことは既に認定したとおりであるし、本件ブロックは交感神経をブロックするものであるところ、一般に、交感神経の遮断によって消化管は胃分泌亢進、腸管の収縮及び蠕動の亢進することが認められること(<書証番号略>、被告小坂、鑑定の結果)、直腸障害や膀胱障害は、腰椎付近でブロックが行なわれ両側のS3ないしS5の神経が侵された時に現われるが、本件ブロックのように胸椎以上でブロックが行なわれるときは、脊髄自体が障害されない限りあまりみられないとされていることも前記認定のとおりであり、本件ブロックにおいて脊髄が侵されたと認めるに足りる証拠のないことに照らせば、仮に原告主張のような症状が存在するとしても、本件ブロックとは因果関係があるとは認められない。

(五)(1) 原告は、歩行困難を主張するところ、それがどのような症状を原因とするものかは必ずしも明確ではないが、原告本人の供述及び陳述書(<書証番号略>)並びに関係各病院のカルテ等(<書証番号略>)は以下のような事実をそれぞれ示している。

① 本件ブロック施行の翌日である昭和五八年五月五日には、原告は被告病院の廊下を車椅子で移動していた旨の記載が看護記録にみられ、同月六日の医師指示書には脊髄穿刺後の頭痛あり、「月曜日までベッド上安静、排尿・便は車椅子で可」との記載があり、同日の看護計画記録にも右同旨の記載とともに「歩行時ふらつきあり、事故防止」との記載がある。また、その後の看護記録にも、同月一二日までの欄には、歩行時にふらつきが続き原告が歩行器を欲している旨の記載があるが、その後同月一二日のカルテには、頭がふらつくが下肢はしっかりしてきた旨の、一六日のカルテには、ふらつきは減ってきた旨のそれぞれ記載があり、看護記録にも同月一四日には原告が足の方は歩行器なしでしっかり歩けるようになったと述べたことが記載されている。

② 原告が同月一七日から一九日まで外泊したことは既に認定したとおりであるが、右看護記録によると、原告は、同日被告病院に帰院後、階段を上るとき右側胸部に力が入らない感じで歩行しにくかった旨訴えている。一方、同月二六日の看護記録によると、原告が廊下をばたばたしていたとの記載もある。原告が退院した同月二八日付の診断書には、歩行困難についての記載はない。

③ 原告は、既に認定のとおり、本件ブロック後、被告病院内科、松江市立病院及び岡山大学医学部附属病院をそれぞれ受診したが、右各病院のカルテに歩行困難の訴えについての記載はない(証人渡部は、歩行困難の点につき気が付いたことはないと証言している。)。また、原告は、その後松江生協病院、平田市立病院、鳥取大学医学部附属病院を受診したが、その際の原告の訴えや、松江生協病院医師作成の同年九月一四日付及び同六〇年七月一二日付各身体障害者診断書による日常生活動作等の評価並びに右各病院における諸検査結果は既に認定したとおりである。

④ 原告の歩行困難に関する供述内容を検討すると、原告は、本件ブロック直後から足が立たなくなり、その後一週間ほどは歩行器や車椅子によって移動していたこと、退院時にも足が歩くのにちょっと不自由で、立ったり座ったりすると右の腹が痛い状態であったこと、昭和五八年七月ころから右足や背中の痛みのため杖をつかないと外を歩きにくくなったこと、他方同月ころにはまだ腹等の腫れが続いて痛みは余りなく、痛みは同年一〇月ころ腫れがひくにつれ強く出てきたが、痛みが出てくるまでは杖をついていないこと、同五九年一一月ころには足の付け根の痛みで歩きにくい状態であったこと等を供述している。また、原告の陳述書によると、腹が痛くて歩くことも思うようにできにくいこと(<書証番号略>)、本件ブロックの際突然腹が腫れて下半身がしびれて歩けなくなったこと(<書証番号略>)、同五八年七月ころ、杖がないと外を歩きにくくなってきたし、右足も次第に悪くなってきたこと、現在の症状として、同五九年三月ころから杖がないと外を歩くことができず、右足も年々悪くなって来たこと、階段の上り下りがしにくく上に上がるのに右足に力が入らないこと(右足付け根の節に痛みがあり、少しはれもあり歩きにくい。)(<書証番号略>)、被告病院内科を受診した際には歩行障害のことは別に専門医に見てもらうつもりで訴えていないこと、岡山大学医学部附属病院受診時や、同年九月の松江生協病院受診時にも手足の麻痺があったが自分の診療してもらいたいことではなかったので訴えていないこと、原告は現在正常歩行は二〇メートルしかできないこと(<書証番号略>)、平成元年ころは階段の昇降が困難で右足の付け根が痛く腫れもあり歩きにくかったこと、同年一一月ころからさらに新たな痛みが出たこと、同四年二月ころからはさらに右足の痛みは悪化し歩けないことがあること(<書証番号略>)等が記載されている。

(2) 以上の、原告の供述内容ないし陳述書の記載内容を通覧すると、原告の歩行困難の原因となる症状や右発症時期等について、その供述等が必ずしも一貫性を有するとはいい難いし、関係各病院のカルテ等に右症状を裏付ける記載がなく、不自然であるといわざるを得ない。原告は、後者の点につき、関係各病院での受診時に、歩行困難について申告しなかっただけである旨陳述書に記載しているが、少なくとも杖をつかないと歩きにくくなったと供述している時期以降に受診した岡山大学医学部附属病院や松江生協病院、平田市民病院においてこれを申告しないことは不自然である。また、原告が松江生協病院、平田市民病院、鳥取大学医学部附属病院等で受けた腱反射や徒手筋力テスト等の検査結果は概ね正常であり、しかも、松江生協病院の昭和五八年九月一四日付身体障害者診断書によると歩行能力を含め日常生活動作にはほとんど問題がないと判断されていること等に照らせば、原告主張の歩行困難の存在(そしてこれを示す同病院の同六〇年七月一二日付身体障害者診断書の内容)には極めて大きな疑問が残るといわなければならない。また、仮に右症状が存在するとしても、少なくとも昭和五八年九月一四日の時点においては歩行困難は存在しないか、もしくはごく軽微なものであったと認められ、その後に、本件ブロックから相当期間が経過してから現在のような症状が発生したことになる。しかし、本件ブロックにより運動障害ないし筋力低下が発生するのは、前記のとおり前根が侵された場合や脊髄が侵された場合、あるいは、ブロック部位がC5からC8、L2からS1に及ぶ場合等が考えられるところ、本件ブロックにおいては薬液が前根を侵した可能性があるものの、その他の可能性はこれを認めるに足る証拠はなく、歩行困難発症までの期間を考慮すると、歩行困難と本件ブロックとの間に因果関係を認めることは困難である。

なお、原告は、本件ブロック直後にも歩行困難を生じているが、これは脊椎穿刺による頭痛・ふらつきによるものと認めるべきことは既に判示したとおりであり、現に一〇日程度で回復している。

(六) 原告は、食欲不振、あるいは満腹感がわかりにくいとの症状があることを主張し、原告本人はこれに沿う供述をするが、右症状は原告の主観的申告のみを根拠とするものであり、また仮に右症状が認められるとしても、本件ブロックとの関連性を肯定する証拠は存在しないこと、既に認定したとおり少なくとも被告病院に入院中は食事を十分にとっていたこと、腹部の膨満の治療を目的に被告病院内科を受診した時にも食欲等のことについては訴えておらず、最初にこれを訴えたのが昭和五八年八月二九日岡山大学医学部附属病院を受診した際のことであること(<書証番号略>)、本件ブロックが合併症として食欲不振や満腹感を消失させるものであるとは認められないこと(<書証番号略>、鑑定の結果)等に照らすと、仮に原告に右のような症状が存在するとしても、これと本件ブロックとの間に因果関係があるとは認められない。

(七) 原告が、左上肢挙上困難を訴え、昭和五八年一〇月二九日、左肩関節の著しい機能障害を傷病名として身体障害者手帳の交付を受けたことは既に認定したとおりであるが、他方、既に認定したとおり、本件ブロック以前の同五七年春ころから左肩関節周囲炎による左上肢挙上困難が原告に現われていること、松江生協病院におけるこの点に関する診断は、左肩関節拘縮でその原因は不祥であるとされていること、また、原告の右症状について、少なくとも、本件ブロック後同五八年五月二八日に被告病院を退院した時までの間には原告から格別の訴えがなかったと認められること(<書証番号略>、原告、被告小坂)等に照らし、原告の左上肢挙上困難と本件ブロックとの間に因果関係があるとは認められず、右症状は左肩関節周囲炎(五十肩)である可能性が高い(被告小坂、鑑定の結果)。

(八)(1) 原告本人は、本件ブロック後、右の手足にしびれ感ないし痛みがあるため物をつかむのが不自由になった旨供述し、同旨の陳述書(<書証番号略>)を提出しているが、原告本人の供述及び陳述書(<書証番号略>)並びに関係各病院のカルテ等(<書証番号略>)は以下のような事実をそれぞれ示している(なお、足の症状については、前出の歩行困難の原因たる症状としての面を持つが、一応別個の問題として再論することとする。)。

① 原告の入院中の症状に関し、被告病院のカルテ等には手足のしびれや麻痺、痛み等についての記載は存在しない。

② 原告は、既に認定のとおり被告病院内科、松江市立病院及び岡山大学医学部附属病院をそれぞれ受診したが、右各病院のカルテに手足のしびれや麻痺、痛みの訴えについての記載はない(証人渡部は、手足のしびれや麻痺の点につき気がついたことはないと証言している。)。また、原告は、その後松江生協病院、平田市立病院、鳥取大学医学部附属病院を受診したが、その際の原告の訴えや松江生協病院医師作成の同年九月一四日付及び同六〇年七月一二日付各身体障害者診断書による日常生活動作等の評価及び右各病院における諸検査結果は既に認定したとおりである。

③ 原告の供述中、手足のしびれや麻痺、痛み等に関する部分を検討すると、原告は、右手肘から先に痛みないししびれがあって力を入れにくく物をつかむのも不自由であり、それが何時ころ発症したかはよく覚えていないが、昭和五八年七月ころにはそのような症状はなく、鳥取大学医学部附属病院に行ったころもなかったこと、同月ころから右足の痛みのため杖をつかないと外を歩きにくくなったこと、同五九年一一月ころには足の付け根の痛みまで歩きにくい状態であったこと等を供述している。また、原告の陳述書によると、本件ブロックの際突然腹が腫れて下半身がしびれて歩けなくなったこと(<書証番号略>)、同五八年七月ころは右足も次第に悪くなってきたこと、現在の症状として、右手肘から先に痛みがあり、手先が物をつかむのに不自由であること、階段を上がるのに力が入らず、右足の付け根の節に痛みがあること(<書証番号略>)、被告病院内科を受診した際には手足のことは別に専門医に見てもらうつもりで訴えていないこと、岡山大学医学部附属病院受診時や、同年九月の松江生協病院受診時にも手足の麻痺があったが自分の診療をしてもらいたいことではなかったので訴えていないこと(<書証番号略>)、右手の痛みは同六三年秋ころから肘から先に痛みが出て年数がたつにつれ悪くなること、平成元年ころは階段の昇降が困難で右足の付け根が痛く腫れもあり歩きにくいこと、同年一一月ころからさらに新たな痛みが出たこと、同四年二月ころからはさらに右足の痛みが悪化し歩けないことがあること(<書証番号略>)等が記載されている。

(2) 以上の、原告の供述内容ないし陳述書の記載内容を通覧すると、原告の手足の麻痺、しびれ感ないし痛みの症状や右発症時期等について、その供述等が一貫性を有するとはいい難いし、関係各病院のカルテ等に右症状を裏付ける記載がなく、不自然である。原告は、右の関係各病院の受診時に、自分が手足の麻痺やしびれ感等について申告しなかっただけであると陳述書に記載しているが、昭和六〇年一月二一日松江生協病院において坐位、歩行が困難という訴えをするまで、ほとんど手足の症状に触れた訴えをしていないのは不自然である。また、原告が松江生協病院、平田市民病院、鳥取大学医学部附属病院等で受けた腱反射や徒手筋力テスト等の検査結果は概ね正常であり、松江生協病院において同年一月二一日に、また、平田市立病院において同月二五日にそれぞれ受けた検査の結果、上下肢の知覚障害は認められず、筋萎縮、運動障害も認められないと判断されたこと、鳥取大学医学部附属病院における同年一〇月二八日における診断も、上下肢に手袋型及び靴下型知覚障害があるも演技的であると判断されていること、さらに、松江生協病院における昭和五八年九月一四日付の身体障害者診断書によると書字やものをつかむこと、歩行能力等を含め日常生活動作にはほとんど問題がないと判断されていること、本件証拠保全に先立ち、同五九年六月付及び同年九月付で相当長文の陳述書を自力で書いていること(<書証番号略>、原告)等に照らせば、原告の手足麻痺やしびれ感、痛みの存在(そしてこれを示す松江生協病院の同六〇年七月一二日付身体障害者診断書や鳥取大学医学部附属病院のカルテ等の内容)には極めて大きな疑問が残るといわなければならない。また、仮に右症状が存在するとしても、少なくとも松江生協病院や平田市立病院等が原告の上下肢に運動障害や知覚障害等がないと判断した同六〇年一月ころの時点においては、上下肢の麻痺、しびれ感、痛みは存在しないか、ごく軽微なものであったと認められ、本件ブロックから相当期間が経過してから右症状が発生していることを考慮すると本件ブロックとの間に因果関係はないものと認められる。

3 以上のとおり、原告の訴える各症状のうち、腹部の腫脹ないし膨隆を除くその余の症状は必ずしも明確に認められないものがあるばかりか、これら各症状が仮に存在するとしても、本件ブロックとの因果関係を肯定することはできない。

一方、右腹部腫脹ないし膨張の原因は薬液が前根を一部侵したことが原因であると推認できることは既に認定したとおりであるが、原告主張の後遺障害の中にこれと因果関係を持つと認められるものはない。したがって、右腹部腫脹等は一過性に終わり、重大な結果に至らなかったところ、本件ブロックの際に薬液が結果的に目標よりやや広がり前根を一部侵した事実があるとしても、この一事をもって直ちに被告小坂の手技に過失があったと認めることはできない。

したがって、本件ブロックに伴って前記各症状が発生したことを前提に、被告小坂の本件ブロックの手技上の過失をいう原告の主張はいずれにしても理由がない。

4  また、原告は、本件ブロックの行なわれた部位が本件証拠上明らかでないと主張するが、麻酔科カルテ、看護記録及び医師指示書(乙二)によれば、T6ないしT7胸椎穿刺を目標として行なわれたことが認められ、原告の主張は理由がない。なお、被告小坂作成の昭和五八年五月二八日付診断書及び同日付自動車損害賠償責任共済後遺障害診断書には、T5からT6に本件ブロックをしたかのような記載があるが、右は前記各書面(乙二)の記載内容に照らして信用できず、右二通の診断書の所見は基本的に同じであるから、被告小坂において同一の誤記をしたものと認められる。

六争点5(説明義務・承諾を得る義務について)

1(一)  証拠(<書証番号略>、被告小坂)によれば、被告小坂は、昭和五八年四月二七日、同年五月二日、同年五月四日に、原告に対し、従前の治療に代る治療法としては本件ブロックしかないこと、本件ブロックは持続硬膜外ブロックよりさらに深いところに針を入れて長く効く薬を注入する方法であること、痛みをとることができる代わりに皮膚が麻痺して無感覚になったり、しびれを感じることがあること、効果の持続時間が三週間ないし六か月であること等を説明する一方、その薬液がフェノールグリセリンであることや、その他の蓋然性が低いと思われる合併症の説明はしなかったこと、原告は、右説明を受けて本件ブロックの施行を希望したことが認められる。

(二)  これに対し、原告は、被告小坂は、本件ブロック当日の同年五月四日、原告に「きつい注射を射つ。」とのみ言ったのであり、原告がこれを拒否し「硬膜外ブロックにして下さい。」と言ったところ、被告小坂から「この注射をしないと後遺障害診断書を書かない。」と迫られて本件ブロックに応じたと主張し、原告本人は、これに沿う供述をし、同旨の陳述書(<書証番号略>)を提出している。

しかしながら、原告の供述は、既に判示したとおり、本件ブロック直前の症状や校費患者の手続等重要な点で信用できない部分のあること、既に認定したとおり本件ブロックは患者の不同意が禁忌としてあげられ、施術の際にはかなり苦痛の伴う体位を患者に要求する必要があり、しかも体位が崩れると合併症の生じる恐れのあることから考え、任意の同意のない患者に本件ブロックを施行することは困難かつ危険でもあり、被告小坂にそこまでして本件ブロックを施行する必要性は認められないこと(原告は、被告小坂の実験的医療の意図を主張するが、相当でないことは既に判示のとおりである。)、原告が、同年四月二七日から三〇日にかけて、「自分も注入をしてもらわないといけない。」などと本件ブロックを望むような発言を被告病院の看護婦に対して行なっていること(乙二。原告はこれを硬膜外ブロックのことであると主張するが、原告の右発言は、被告小坂が本件ブロックを勧めた時期と符号しており、また、原告が硬膜外ブロックに期待しこれを望んでいたとすることは、従前の治療経過に照らし不自然であるから、本件ブロックのことと解するのが相当である。)等を総合すると、原告の供述や前記陳述書は信用できない。

(三)  また、原告は、原告が証拠保全を申立てたり、松江市立病院、松江生協病院、岡山大学医学部附属病院等を受診した際に本件ブロックについて述べていないことを根拠に、原告は本件ブロックについて一切説明を受けていない旨主張する。しかしながら、原告の主張によると、原告は、本件証拠保全申立時には、本件ブロックを持続硬膜外ブロックと考えていたとのことであるが、一方、原告は、本件ブロックを受ける際、きつい注射はやめて硬膜外ブロックをしてほしいと頼んだのに、結局そのきつい注射をされたとも主張しているのであるから、原告の主張は矛盾したものというほかない。

また、原告が本件証拠保全申立時に「くも膜下フェノールグリセリンブロック」という本件ブロックの名称を認識していなかったとしても、そのことが、本件ブロックにつき一切説明を受けていないことの裏付けにはならないし、さらに、原告が他病院で受診の際、本件ブロックのことを述べなかったというのも、その時点では、昭和五八年五月四日になされたブロック、すなわち本件ブロックを、重視していなかったからにすぎないとみることもできる。

2  そこで進んで、被告小坂の説明が十分なものであったかについて判断する。

本件ブロックのような一定の医的侵襲を伴う医療行為を行なう医師は、患者の自己決定権の保護等の観点から、右術式の内容及びこれに伴う危険性を患者に対して説明し同意を得る必要があると解するべきところ、本件における被告小坂は、前記1(一)のとおり、本件ブロックの術式内容や、その合併症として皮膚が無感覚になったり、しびれが生ずることは説明したが、フェノールグリセリンの名称やその他の合併症について説明していない。しかしながら、医師が説明義務を負うとしても、専門的な名称や内容、あるいは生起する蓋然性の低い合併症まで全て説明することは、必ずしも患者の自己決定権の行使に必要でない場合があるし、かえって患者の適正な自己決定権の行使を阻害し、あるいは徒らに不安に陥れることにもなるから、患者の受診態度、当該治療行為の必要性、合併症の重大さ及びその生起する蓋然性を考慮して説明すべき範囲を決するべきものと解するのが相当である。

そこで、本件について判断するに、フェノールグリセリンという薬液の名称を原告が知ることは必ずしも必要でないと考えられるし、また同薬液は神経破壊剤といわれているが、必ずしも神経を半永久的に破壊するものではなく、ブロック後一定期間がたてば神経は再生し、ブロックの効果の持続期間も個人差はあるが六か月前後のものであること、本件ブロックを胸椎以上の部位で行なう場合には、合併症の危険もそれほど大きくないこと(<書証番号略>、被告小坂、弁論の全趣旨)及び原告が従前の神経ブロックに代わる強力な治療行為を積極的に希望していたなど一連の経過を考慮すれば、被告小坂の説明は、合併症の説明等において十分ではない面があるとしても、なお、原告の自己決定権を侵害し違法であるとまでの評価には至らない。

3  そして、原告は被告小坂の右説明の下で本件ブロックの施行を承諾したことは前記認定のとおりであるから、結局、同被告につき、原告主張の説明義務等の違反は肯認できない。

七争点6(原告の後遺障害及びその原因についての仮定的判断)

原告主張の後遺障害の存在自体、本件証拠上必ずしも明確ではなく、かつ、仮にこれが存在するとしても本件ブロックや昭和五六年一〇月一二日から同五八年一月一〇日までの被告病院の治療との間に因果関係があると認められないことは既に判示したとおりである。したがって、原告の後遺障害及び因果関係の主張は理由がない。

八以上によれば、その余の点について判断するまでもなく原告の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官田中澄夫 裁判官宮本由美子 裁判官檜皮髙弘)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例